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広南阮氏の滅亡により、後黎朝は名目上は鄭氏の権勢の下に統一された(「皇黎一統」)が、実際には広南阮氏の旧領は西山三兄弟が占有しており、南北対立の構図は変わらなかった。後黎朝中興期の帝室は実権を失い、北河(東京)を支配する鄭氏(鄭主)と、南の広南阮氏(阮主)という二大勢力が分立し、両者は?江を境として対峙していた。